公開: 2019年10月9日
更新: 2019年10月xx日
近代以降の戦争では、軍隊が戦争に着手しようとするとき、どのように戦争を戦い、どのような条件が成り立った時に戦争を停止し、敵と講和をするかの大まかな方針を立てて、戦争を始めます。この時、個々の軍事作戦で、敵の軍隊に負けることもあるので、ある作戦で敗戦を喫した場合には、どこまで軍隊を退却させて、次にどこでどのような作戦を展開するのかも計画します。このような戦争全体の実行計画を戦略と言います。
そのような戦略に基づいて戦争を戦うとき、ある局面で敵と対峙(たいじ)し、その戦いに勝つためにどれだけの軍と物資を、どれだけの期間投入して、どのように戦うかの作戦を立案します。そのような作戦は、戦いの進行によって状況が変化するため、しばしば変更をしなければならなくなります。そのような個々の戦闘のために作成する戦争計画を、戦術と呼びます。戦略が、政治的な判断を必要にするのに対して、戦術は、純粋に軍事的な判断が重要になります。
1941年12月に、日本は米国との戦争に突入しましたが、その時、日本政府、日本陸軍、日本海軍も、明確な戦略を持たずに戦争に着手しました。海軍の山本五十六は、「2年間は、米国と戦える」とは言いましたが、長期戦をどう戦うかの見通しは持っていませんでした。陸軍は、長期的な見通しを持たずに、戦争に着手したため、作戦を立案する若手の参謀や、司令官の思い付きで作戦が作られ、実行されてゆきました。特に、ビルマのインパール作戦は、その典型だったと言えます。